
「行かせたい」と「やってみるしかない」――家族の覚悟(ご両親インタビュー・後半)
本記事では、世代トップPG・越圭司選手のアメリカ挑戦を支える家族の思いに迫ります。
越 圭司(こし けいじ)
2009年、愛知県生まれ。小学生から世代別の県選抜に名を連ね、2025年にはB.LEAGUE U15 CHAMPIONSHIP 2025で優勝とMVPを経験。沖縄移住を経て、全国の舞台でも数々のタイトルを手にした。
世代No.1ポイントガードと評され、U16日本代表にも選出されたが、彼は立ち止まらない。今年9月、ネブラスカ州オマハのConcordia Lutheran Schoolsへ。将来のNBAを視野に、異国の地での挑戦が始まる。
「NBAに行くなら、もう向こうで頑張ってほしい。」(父)
父の言葉は、古風でありながら真っ直ぐだった。
夏の光が降り注ぐカフェのテラス席。渡航の準備を終えた両親は、胸の内にあった思いを静かに語り始めた。
そこには、不安や寂しさだけではなく、ひとりの息子を送り出す誇りと確信が込められていた。
■NBAと「海外」が当たり前だった家庭
父にとって、バスケットボールは最初から海外と結びついていた。
「NBAが大好きで、バスケをやるなら絶対に海外だと思っていました。自分も若い頃、外国人選手のチームに好んで入ったぐらいで。だから圭司が『アメリカに行きたい』と言ったとき、『ぜひ行け』と思えたんです」(父)
家庭の中では、マイケル・ジョーダンやマジック・ジョンソン、アレン・アイバーソンといった“伝説”の話が日常的に語られた。NBAの映像を家族で見ながら、自然とバスケの基準は海外という価値観が息子に刻まれていった。
「バスケならNBA。それが我が家の当たり前でした」と父は笑う。
■親としての誇りと不安のはざま
だが、夢と現実は別物だ。
父は率直に言う。
「行ってほしい気持ちは大きかった。でも親としてバックアップできるのか、不安は大きかったです。自分が経験していればアドバイスもできたけど、未知の世界だったから」(父)
母も同じように揺れた。
「最初は本当に心配でした。アメリカで生活できるのか? 日本から距離を置かれることになるんじゃないか? 食事は大丈夫か? …心配ばかり。でも準備を重ねるうちに“やってみるしかない”に変わっていきました」(母)
息子を送り出す決断は、誇りと不安のあいだで揺れながら、少しずつ固まっていった。
■「365日ルール」と向き合う
留学生は1年間、公式戦に出られない――いわゆる『365日ルール』。
国内で注目を浴びてきた選手が、アメリカに渡れば無名の新人に戻る。
この現実をどう受け止めたのか。
圭司は淡々と答える。
「逆にいい時間だと思ってます。英語を学べるし、世界が広がる。バスケができなくなるわけじゃないし、自分の今後にとって大事な時間。」(圭司)
父も同調する。
「一流の選手でも必ず“足りない部分”はある。その欠けているものを埋める時間だと思えば、意味がある。神様が与えてくれた一年だと思います」(父)
母は少し違う角度で見ている。
「単純に、この子は“人と違うことをしたい”っていう子なんです。冒険心が強い。理由はそれでもいいと思います」(母)
■覚悟とリセットの意味
日本で脚光を浴びた選手が、アメリカでは一からやり直す。
父はそこに価値を見出している。
「圭司を有名にしてくれたのは、コーチやチームのおかげでした。そこから離れて、自分の力で認められる選手になってほしい」(父)
母も同意する。
「たまたま、この一年はみなさんに見てもらえたと思っています。また一からやれる子だと思っているので」(母)
そして圭司自身は静かに言った。
「注目されたいわけじゃない。アメリカでバスケができる。それだけです」(圭司)
初心忘るべからずという言葉が自然と当てはまる。再びゼロから挑むことこそが、彼にとって成長の糧になる。
■親が願うもの
父の最終目標は明確だ。冗談っぽく言って周囲を和やかにしていたが、目の奥では息子の夢を信じる父の思いが光っている。
「NBAに入ること。それもドラフトで名前を呼ばれることです」(父)
同時に、父の願いは単なる競技の成功にとどまらない。
「アメリカでの生活は、自立を早める。強豪校なら仲間やコーチに支えられるけど、プロになるなら自分で決断し、道を切り拓く力が必要。その第一歩を踏めるのは大きい」(父)
母の願いは、より生活に根ざしている。
「親が全部守るんじゃなくて、本人が苦労して成長する時期。だから不安があっても“やってみるしかない”。それがこの挑戦の意味だと思っています」(母)
■家族全体の挑戦
取材の終盤、父はふっと寂しそうに笑った。
「日本にいれば“あれやれ、これやれ”と言えた。でも向こうに行ったら、もう口出しできない。だから少し寂しい。…でも、それじゃダメなんですよね。全部自分でやる経験が必要だから」(父)
母も頷く。
「子どもが挑戦するのは本人のこと。でも、家族にとっても挑戦なんです。心配も不安もあるけど、それ以上のものがあります」(母)
親の思いは複雑だ。それでも最後は「頑張れ」という言葉に収束する。
■まとめ
父の最後の言葉は、あまりにシンプルだった。
「頑張るしかない。お父さんも頑張るから、お前も頑張れ。」(父)
母は「心配?もう“ないさー”です」と笑った。
越圭司、16歳。
アメリカ挑戦の物語は、息子ひとりのものではない。
不安と誇りを抱えながら背中を押した家族全員の物語でもある。
その先に待つのは、NBAという夢。そして何より、家族の挑戦が刻む新しい未来だ。
インタビュー・文/写真:Megumi Tamura
Editor’s Note|編集後記
留学は、決して選手ひとりの挑戦ではありません。そこには家族全体の物語が重なります。
「心配? もう“ないさー”です」と笑った母の言葉には、不安を越えてきた時間の積み重ねと、息子を送り出す誇りがにじんでいました。
これからも、海を渡る選手たちの挑戦を、家族や仲間の声とともに記録していきます。
その一つひとつが、同じように海外を目指す選手や保護者にとっての「道しるべ」と「勇気」になることを願っています。