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出場は1年待ち―「365日ルール」がスポーツ留学生に突きつける現実

アメリカの高校にバスケ留学をしても、すぐに試合に出られるわけではない。それは、実力や英語力が問題になるのではない。
「転入から365日間、公式戦には出場できない」というルールが存在する。
この“365日ルール”は、ただの制度ではない。留学生にとって、精神面・競技面の大きな試練となる“見えない壁”だ。

「出場できない1年」が始まる

「365日ルール」とは、アメリカの高校スポーツに存在する出場制限の一つだ。簡単に言えば、州外から転入した生徒や留学生は、転校後365日間(1年間)Varsity=1軍の公式戦に出場できない。これは多くの州で採用されており、バスケットボール留学生にも大きな影響を及ぼす。

このルールの背景には、アメリカの教育文化に根差した「フェアネス(公平性)」の価値観がある。州内での過剰なリクルーティング(選手引き抜き)や、学業より競技実績を優先した転校を防ぐため、教育委員会や州のスポーツ統括団体は厳格な出場規定を設けている。たとえばカルフォルニア州のCIFやネブラスカ州のNSAAでは、家庭の転勤など正当な理由がない限り、365日間は公式戦出場が認められない。

365日の「壁」をどう越えるか

実際、こうしたルールは日本からのバスケ留学生にも直撃する。カリフォルニア州に進学したT君は、高校2年生(アメリカの高校は4年制のため、日本では高校1年生と同学年)で渡米したが、留学初年度は試合に出られなかった。「練習には出られるけど、試合の日はベンチで応援するしかできない。正直つらかった。でも、もっと上手くなろうと思ったし、今はこの1年があってよかったと思っています」と振り返る。この1年を乗り越えることは、自身の大きな成長に繋げた。

日本ではトップ選手として活躍していた選手たちにとって、この「試合に出られない1年」が与える影響は決して小さくない。周囲の選手たちは公式戦で活躍し、SNSにハイライト映像が流れ、大学コーチの視察を受ける。そんな中で、自分だけが“チームにいるけれど試合には出られない存在”として1年を過ごすのは、精神的にも大きな試練だ。

だが、見方を変えれば、この1年は“準備期間”として非常に価値ある時間でもある。英語・学業・フィジカル面の底上げに集中できる。さらに、出場できるJr Varsity(ジュニアバースティ=2軍)での活動や、練習での姿勢を通じて、コーチやチームメイトからの信頼を積み上げることもできる。

もう一つ注目すべきなのが、春〜夏に開催されるAAU(アマチュア・アスレチック・ユニオン)トーナメントには、365日ルールが適用されないという点だ。AAUは高校のリーグとは別に運営されており、クラブチームとして登録すれば、全米の大会に出場することができる。ここでは大学コーチによる視察(Live Period)も行われるため、公式戦に出られない間も、プレーで自分を売り込む場が用意されている。

州によって異なるルール、選ぶ前に知っておきたい

とはいえ、すべての州でこのルールが適用されているわけではない。たとえばフロリダ州(FHSAA)では比較的柔軟で、転入理由や書類の整備状況次第では、1年目から公式戦に出場できるケースもある。逆に、ネブラスカや一部の中西部州では厳格に適用される。

だからこそ、バスケ留学を考える際には「どの州か」「どの学校か」を見極めることが極めて重要だ。制度を知らずに進学し、現地で「出られない」と知って落胆する例も少なくない。

“壁”の本当の意味

留学とは、単に場所を変えてプレーすることではない。生活も言語も環境もすべて変わる中で、自分を律し、育てていくことに意味がある。365日ルールという“壁”は、単なる制度ではない。そこには、アメリカでスポーツと教育を両立させるという文化的メッセージが込められている。

ルールは壁だ。しかしそれは、越えた先で何を見せるかを試すために存在しているのかもしれない。365日後の自分のために、365日をどう使うか。その問いに答えるのは、選手自身だ。

Editor’s Note|編集後記

私がこのメディアを発足した理由の一つである「365日ルール」。1年前、これは日本で全く周知されていなかった。彼らは、日本で築いてきた環境、文化、言語がすべてリセットされて、全く新しい場所にひとりで飛び込んでいく。留学して、ただでさえ精神的に追い込まれる1年目。そのなかで、「365日ルール」という“試合に出られない制度”が、静かに彼らの前に立ちはだかる。一軍の試合に出られないのは決して彼らの実力が足りないからじゃない。ルールなのだ。この事実を、日本で応援してくれている人たちに伝えられる公式の場所も、悔しい気持ちを伝える場所もなかった。海外で挑戦している彼らの姿や言葉を伝えられる場所が、このメディアの使命だと、私は思っている。

文・Megumi Tamura

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