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“我慢の一年”を力に――未来を見据えるジュニアシーズン|恒岡ケイマン
本シリーズ #CrossoversStories は、日本の若き挑戦者たちの海外バスケット留学を追う連載インタビューです。
本記事では、将来有望なPF/C・恒岡ケイマン選手のアメリカ挑戦を追います。
恒岡ケイマン(つねおか けいまん)
2008年、京都府生まれ。京都府選抜やナショナルキャンプに選出され、中学時代から世代有数のビッグマンとして注目を集める。2024年夏、15歳で単身渡米し、カリフォルニア州エンシノのCrespi Carmelite High Schoolへ。
名将デリック・フィッシャーHCの下で心身を磨き、365日ルールにより公式戦に立てない1年目を我慢とトレーニングに費やした。身長198cmのパワーフォワード兼センターとして成長を遂げ、2025–26シーズンからVarsity出場権を得て本格的なキャリアを歩み出す。
目標はNCAA D1スカラシップの獲得、そしてNBAの舞台。静かに燃える闘志を胸に、挑戦の日々は続く。
春の光が差し込む羽田空港。『ADIDAS NATIONS TOKYO U19 SPECIAL CAMP 2025』を終え、約2週間の日本滞在を経て、再びアメリカへ戻ろうとする恒岡ケイマンの姿があった。出発ロビーでインタビューに応じる彼の表情は、16歳らしいあどけなさと、365日の試練を乗り越えた者だけが持つ静かな自信とが同居していた。
「メンタルとの勝負の一年でした」(ケイマン)
その言葉には、単なる苦労話ではなく、自ら選んだ留学を覚悟と犠牲を背負って歩んできた時間の重みが刻まれていた。この記事では、彼が挑んだ我慢の365日と、アメリカでの日常、そして未来への視線を追う。
■挑戦の始まり
2008年9月、京都に生まれた恒岡ケイマン。小学生の頃から高い身体能力を武器に、京都府選抜やナショナルキャンプに選出され、中学世代の注目選手として名を馳せてきた。
だが彼が選んだ次の舞台は、日本の強豪高校ではなかった。2024年夏、15歳でカリフォルニア州エンシノのCrespi Carmelite High Schoolへ進学。そこには、かつてNBAで5度優勝したデリック・フィッシャーがヘッドコーチとしてチームを率いる環境があった。目標はただひとつ――NCAA Division Iの奨学金を獲得し、NBAへ進むこと。
しかし渡米直後、思いもよらぬ制度の存在を突きつけられる。
『365日ルール』。転入や留学生は1年間公式戦に出場できないという規則だ。本人はその存在を知らずに渡米した。初めて知らされたときの心境を、ケイマンはこう振り返る。
「知らなくて。知ったときは、もう日本帰ろうかなって思いました」(ケイマン)
プレーできない一年。それは、留学を決意した15歳の少年にとって想像以上に重くのしかかった。
■我慢とメンタルの一年
「メンタルとの勝負の一年でした」(ケイマン)
公式戦に立てない日々は、想像以上に過酷だった。
「正直、最初は本当にきつかったです。試合に出られないのがこんなにしんどいとは思っていませんでした。日本に帰ろうかなって考えたこともありました」(ケイマン)
彼はそう打ち明ける。公式戦に立てないという事実は、15歳の挑戦者にとって自分の存在意義を疑うほどの重さを持った。しかし、その空白を埋めたのは支えと自分との戦いだった。
「コーチも仲間も、2軍の試合にまで顔を出して声をかけてくれました。普通なら見に来ない試合なのに『ケイマンも頑張ってるから』って。あれは本当に力になりました」(ケイマン)
さらに彼は自らを追い込んだ。Aチーム(Varsity / 1軍)でもBチーム(Jr. Varsity / 2軍)でも練習を重ねた。状況に耐えながら、バスケットボールへの情熱をただ練習に注ぎ込んだ。
「2軍やからこそ、もっとトレーニングしようって燃えました。落ち込む時間もあったけど、電話で家族や友達に話して、自分を立て直しました」(ケイマン)
そんな彼を支えた仲間の存在も大きい。大学進学が決まっていた先輩ペイトン・ホワイトは、毎朝6時に車で迎えに来て、体育館で二人きりの練習を重ねてくれた。
「『次はお前の番だ。俺のポジション取れよ』って言われて。本当にうれしかった。今でも心に残ってます」(ケイマン)
「やっぱり“我慢”するしかなかった。でも、我慢して練習に打ち込んだからこそ、気づけば前より強くなっていました。」(ケイマン)
この一年は、ただ待つ時間ではなかった。自らを磨き、心を鍛え、次のシーズンに備えるための時間になった。
■デリック・フィッシャーの存在
彼を導くフィッシャーHCは、勝者の哲学を知る存在だ。
「Coachフィッシャーは、僕が2軍にいるときも必ず見に来てくれました。普通なら1軍しか見ないのに、『もっとやれるぞ』って。あの人の下でやれること自体が大きなチャンスです」(ケイマン)
■積み重ねた日々を解き放つとき
「今はもう、ここから発揮するだけって気持ちです」(ケイマン)
一年間貯めてきた想いは、彼の中でエネルギーに変わっている。
「もし1年目から試合に出られていたら、ここまでメンタルは強くなっていなかったと思います。この一年があったから、今はネガティブに考えないで、次どうするかだけを考えられる」(ケイマン)
ジュニア(高3)*1シーズンを迎える今年こそ、勝負の年。スカウトが注目する大切なシーズンを前に、彼の眼差しはまっすぐ未来を捉えている。
「やっと準備ができた。もう待たなくていい。ここから、積み重ねてきたものを全部出すだけです」(ケイマン)
■留学1年目の日常
ケイマンの一日は規則正しい。
朝は8時に起床し、8時半に授業開始。午後1時半、もしくは3時までに終了する。放課後はすぐにロッカールームに集まり、3時から3時半は自主的なウォーミングアップ。音楽を聴き、ルーティンを整えてからチーム練習が始まる。
「試合はBチームだけど、Aチームでも練習させてもらいました。ダブルでやったほうが上手くなると思ったんです」(ケイマン)
帰宅後は夕食、課題、入浴を済ませ、10時半には就寝。睡眠は9時間前後を確保する。
「寝れるのが最高です。8時間以上寝られたら十分」(ケイマン)
週末は練習試合やカップ戦。プレシーズン中は公式戦ではなかったため、Aチームで出場できた瞬間もあったが、だがシーズン直前、やはりルールによって本戦には出られないと告げられた。
「めっちゃ落ち込みました。泣いて、家で色々考えました」(ケイマン)
それでも諦めなかった。朝練、筋トレ、個人スキルの磨き上げ。1年間の我慢は、技術とメンタルの両方を強くした。
「この一年があったからこそ、ポジティブに考える力もつきました」(ケイマン)
■年間スケジュール
アメリカのバスケットは年間を通じて動く。
9〜11月はプレシーズン、11月から2月が本格シーズン。春から夏にかけては『AAU(Amateur Athletic Union)』での活動が始まる。
『AAU』『ナイキのEYBL』『アディダスの3SSB』『アンダーアーマーのUA Association』『プーマのPRO16』などがあり、それぞれ全米規模でサーキットを転戦。最後には各リーグの頂点を決める。『ナイキのピーチジャム*2』は世界中のスカウトが集まる最大の舞台だ。
「夏は一番伸びる時期。学校もないから、AAUと学校の練習を両方やります。忙しいけど、やっぱ成長できるんです」(ケイマン)
彼が帰国したのも、この春休みのタイミングだった。2週間の日本滞在を終えると、再びAAUと学校練習の二重生活が始まる。
■これから渡米する仲間
今年からアメリカへ渡る仲間の存在も、彼の励みになっている。
「一年試合に出られないのは本当にキツい。でも、それを分かっていても挑戦する仲間はリスペクトしかない。アメリカで戦えるのが楽しみです」(ケイマン)
日本に残れば注目を集め、国内大会に出場できたはずの世代。その選択を犠牲にしてまで挑戦を選ぶ仲間の覚悟を、彼はよく理解している。
「アメリカ挑戦にはsacrifice(犠牲)が必要。でも、その先にD1があり、NBAがある。僕も迷わずこの道を選びました」(ケイマン)
■未来への視線
「ここからです。これから発揮するだけです」(ケイマン)
365日の我慢を越えた彼は、今まさに勝負の年を迎える。ジュニア(高3)*1シーズンはスカウトが最も注目する時期。
「シニア(高4)*1のシーズンが始まる頃には、みんな進路を決めている。だから僕は今年中にアピールしないと」(ケイマン)
D1、そしてNBA。その道はまだ険しいが、彼は迷わない。
■そして未来へ
最後に、家族や仲間、応援してくれる人々への言葉を求めると、彼は少し照れながらも真っすぐに口にした。
「心配しなくて大丈夫です。僕を信じてください。必ずうまくいくので」(ケイマン)
そして、後輩たちへのメッセージ。
「アメリカに挑戦するなら、ただ行くだけじゃなくて本当にバスケットが好きで、絶対にやりたいという強い気持ちが必要です。そういう燃えるハングリーさがなければ、途中でくじけてしまいます。
僕もまだまだ苦しんでいます。でも、ハングリーな気持ちがあれば必ず乗り越えられるし、必ずうまくいくと思っています。
それから、人との関係を大事にしてください。コーチや仲間とのつながりが、自分を支えてくれる力になります。挑戦する中で、やめたくなる時や苦しい時もあると思う。でも、それは全部メンタルとの勝負です。
立ち止まらずに、自分を信じて、自分の力を最大限発揮すること。そうすれば必ず道は開けます。もし本気でアメリカに挑戦したいという気持ちがあるなら、迷わず挑戦してほしい。僕はそう思います」(ケイマン)
365日の我慢を越えて、心と身体を鍛え、仲間と未来を信じる力を手にした恒岡ケイマン。羽田空港のゲートに向かう背中は、迷いなく未来を見据えていた。これから始まるのは、“我慢”ではなく“勝負”の日々だ。
インタビュー・文/写真:Megumi Tamura
注釈(*1)
アメリカの高校は4年制で、日本の「中学3年生」がアメリカの「高校1年生(Freshman)」に相当する。
• 高校1年=Freshman(フレッシュマン)
• 高校2年=Sophomore(ソフモア)
• 高校3年=Junior(ジュニア)
• 高校4年=Senior(シニア)
同じ呼称は大学でも用いられる。
注釈(*2)
Nike Peach Jam(ナイキ・ピーチジャム) は、Nike Elite Youth Basketball League(EYBL)の年間王者を決める決勝トーナメント。毎年7月にサウスカロライナ州ノースオーガスタで開催され、全米各地の強豪チームが集結する。NBAやNCAAのスカウトも多数視察に訪れ、アメリカ高校バスケット界で最も注目度の高い舞台のひとつとされる。
Editor’s Note|編集後記
インタビューの最後に、ケイマンは「俺もまだまだわかんないんですけど、今伝えられるのはこんな感じなんです。偉そうに聞こえたら嫌だなぁ笑」と謙虚に、そして少し照れくさそうに付け加えた。
365日の我慢を越えた彼の言葉には、経験した者にしか持ち得ない重みがある。それでいて「まだまだわかっていない」と語るその姿勢に、彼の素直さと未来への伸びしろがにじむ。
アメリカで過ごす日々は決して簡単ではない。だが、我慢と支えを力に変えた彼は、これから本当の勝負のステージに立つ。
この記事を通して伝えたいのは、「挑戦のリアル」と同時に、「謙虚さが人を強くする」ということだ。
恒岡ケイマンの挑戦は、まだ始まったばかりである。